2015年12月22日火曜日

ひと - 知内町教育長と中頓別町教育長 -

                                                                      H27.12.21

 学校関係者である自分ががこんな風に言うとお叱りを受けそうなのですが、市町村立の教育委員会がマスコミや世間の非難を浴びる様子を見るにつけ、そういうことが起きるのもあり得ないことではないと思います。教職経験のある方であったり、教育行政職で日頃から教育現場と向かい合っていたキャリアを持つ方ならまだしも、昨日まで、全く畑違いの部署で働いていた役所の職員が、いきなり学校現場で適切な指導や助言をできるとは残念ながら思えません。以前、先月まで役場のある課の係長さんだった方が主査として、町内の義務教育学校へ学校教育指導に出向いているのを目の当たりにしてびっくりしました。さらに、その指導的立場にある教育長が、つい先頃まで某課の課長さんであった方でした。プライベートで話を聞くにつけ気の毒にすらなりました。もっと言うなら、新しい教育委員会制度になって首長の権限が強化されましたが、市町村長さんが、教育委員会もしくは教育委員会を通して学校に対し、これまた迅速且つ適切な指導や助言を具体的に行うことがどれくらい期待できるでしょうか?私自身の考えは、否です。一校の監督者として、平素より、教育委員会には骨は拾っていただくにしても後ろには誰もいないという覚悟で仕事をしています
  さて、のっけから悲観的な話題になりましたが、本町の教育長さんは違います。教育職や行政経験のキャリアをお持ちで、教育にあって時代の先(せん)をいく方です。コミュニティースクールやインクルーシブ教育の導入、高校における入学生徒の確保等々、様々な施策を展開されます。仕掛けの巧みさや実践力は刮目に値しますが、何よりも、その人物には畏敬の念を禁じ得ません。教育に関して、本町で一番熱い方かもしれません。ぶれずに信念を貫き通される方です。自分が学生の頃の恩師には見かけた記憶がありますが最近はついぞ見かけなくなりました。失礼をご寛恕いただき僭越を承知で申し上げるなら、児童生徒のこととなるとムキにすらなられるお姿はやんちゃで、懐かしいような微笑ましいような思いがします。また、人を動かす妙をお持ちです。奢らず偉ぶらず、いつも必ず「お願いします。お任せします」と言葉を締めくくられます。
 何事にも通じるとおもいますが、最後に人を動かすのは心だと思います。
 こんな文章をしたためていると必ず脳裏に浮かぶのが、かつて、教頭時代にお仕えした校長先生です。現在は、中頓別町の教育長に就任されておられます。当時、こんなに心身共に健全で男気のある人物がいるのかと思っていました。「校長として、教頭さんの動きやすいようにすることを心掛けている」、「校長は、生徒と先生方の人生を預かる仕事だ」と、常、口にされていました。教頭にあって校長のなんたるかを語るとき、自分に一番しっくりくる言葉でした。また、機を見計らったかのように、お手製の男弁当やゆで卵、みかんを「ほいっ」といただいたものです。職員室で頬張っていると、先生方から「校長先生の男弁当ですね。嬉しそうですね」と言われました。      
  お二人は自分の尊敬する方です。
 教育は人なり。知内町と中頓別町の教育には、今後も希望が見出せます。 




2015年11月16日月曜日

学校運営協議会(コミュニティースクール)について

                                                                   H27.11.16

  先日、今年度、第三回学校運営協議会を開催しました。
 この度は、アドバイザーの北海道大学大学院研究院の横井教授にも遠路お越しいただき貴重なご意見やご助言、ご指摘を頂戴しました。また、田中教育長にも参加していただき、設置者の立場を離れて教育への熱い思いも語っていただきました。
 いつもどおりに各委員から、学校課題の解決に向けた忌憚のない意見が出され議論がなされる様子に、横井教授からは、熱心な協議でよい議論の場が形成されているとの評価をいただきました。現行の学校評議員制度が形骸化してうまく機能していない学校の話も耳にしますが、本校の学校運営協議会においては、時に、時間を忘れるほど熱い議論や意見交換が行われます。
 本制度の具体的な内容についてはここでは割愛しますが、上手く機能していることの最大の要因は、メンバー構成にあると思います。様々な職業、年齢で構成された方々は、家庭や地域のダイレクトなメッセンジャーであり、同時にまた、学校のスポークスマンでもあります。「校長先生、この間、あるお母さんが○○じゃないかって話していましたが、もっと伝え方を工夫したらいいんじゃないでしょうか」とか、「うちの町の方が、最近の知内高校は××じゃないかって言ってたので、そうじゃないですよ、先生方は○○な思いで生徒達のことを本気で考えてやっているんですよ」と、いう具合です。
 そこには、前提として、本校の教育活動をよく理解していただいてことがあります。学校行事はもとより、日頃の授業の様子も把握していただいていますので、目下の学校課題を切り出しても議論がうまくかみ合います。 
 また、教育課程についても具体的に把握していただいています。学校教育目標を踏まえてどのように管理し改善していくかのヒントもいただけます。学校評価に係る適切な外部評価もいただいており、本校の教育活動のマネジメントにおいて有効に反映させることができます。
 さらに、毎回、協議会の様子は教職員にも伝えていますので先生方の意識改善を図ることができ、協働体制の構築にも役立っています。
  地域社会と一体となった教育環境づくり、学校、家庭、地域が孤立しない、双方向型の関わり合いの中で形成されていく学校を中心としたコミュニティーの在り方を考えるとき、コミュニティースクールは極めて有効な施策であり、学校のメタ認知機能であるともいえます。
  議事録は、その都度ホームページにアップしていますので、模様についてはそちらをご覧ください。
 横井教授をして、「議論の循環の可能性がある」とおっしゃっていただきました。      でも、道内では、本校を入れて、まだ、2校にしか導入されていないんですよね・・ 






2015年11月11日水曜日

格好悪いひとたち - それぞれの努力の定義 -

                                                                                          H27.11 . 11
 
  私事で恐縮ですが、父が他界した折、書斎の机の引き出しの中の便箋に孫宛の文面がしたためてあるのが見つかりました。遺言のタイトルはないものの、内容はそれでした。母は勿論のこと長男の自分にも遺言らしきものはありませんでしたので、いくら孫の可愛いさとはいへ、一瞬、不満の念が湧いてきてそれがおもわず口をついて出てしまいました。すると、側にいた息子曰く、爺ちゃんは、いつだったか、「お前のお父さんは努力家だぞ。それは見習わんといかんぞ」と、言ってたよと。それを耳にして驚愕してしまいました。顔を合わせば、いくつになってもバカ息子と言われてましたし、他人様の前でも家族を罵倒して憚らぬ九州人でした。何よりも、身内の人間に対して肯定的ともいえる評価を口にするというのは記憶にありませんでした。いやまてよ、これは、いかに自分がぼんくら息子であったかの逆説的表現ではあるまいか。もしくは、すごい皮肉の類ではないかといろいろな思いが頭の中を駆け巡りました。そのくらい「努力」の文字が意味するものが、自分自身とはとんと無縁の別世界の言葉だったからです。平素の自分をして、その場限り、行き当たりばったり、やっつけ、一夜漬け、等々。およそ自分の概念とする努力の定義とはかけ離れた人間だと思っています。そうした愚息をして、努力する人と評したことを踏まえ、改めて父の意味する努力の意味を考えてみました。
 心当たりなのは、最後までジタバタあがくことでしょうか。高校時代、考査前の一週間と期間中は深夜ラジオの第一部が終わるまで、もしくは徹夜で勉強。試験開始の直前までノートを開き止めの合図があるまで鉛筆を走らせていました。大学受験前は、睡魔との闘いに空腹を味方につけるために食事制限をつづけた結果、三ヶ月で11㎏体重減。遂に授業中に栄養失調で保健室へ運ばれてしまいました。大学では、レポートの出来に納得がいかず三日間徹夜して書き直しをしました。教員採用試験の前夜も、明け方まで試験会場近くの友人宅で参考書を眺めていました。剣道の試合でも、止めの合図がかかるまで打ち込みつづけました。単に往生際が悪いだけなのですし計画性の欠如に他なりません。一方で、力が抜けていない生き方にもなるでしょうし狭隘な人間性を表していると思います。ただ、最後の瞬間まで拘りつづけることはしているようで、この一部分を以てして息子の行動を父は努力と評したとしか思い当たりません。
 ところで、前回、格好いいひとたちについて書きましたが、3年生で進路が決定した生徒諸君が格好悪いひとにならないように願っています。就職先が内定した途端、授業態度がよろしくなくなったり、明らかに手抜きの結果著しく成績を落とし赤点をとってしまったり努努無きよう、残りの高校生活を有意義に送っていただきたい。
 そういえば、過日の校内マラソン大会で、体調も悪くないのに歩いてゴールしている生徒を前にある先生が叫んでました。
 「あんたたち格好悪いよ!」
 自分が一番投げ掛けたかった言葉を代弁していただきました。





2015年10月5日月曜日

格好いいひとたち

                                                           H27.10 . 5
 
 今日から、2学期が始まりました。生徒諸君がブレザーを着用した正装へと衣替えした姿を目にするにつけ、ここ北海道での秋の深まりを実感します。月曜日とあって、生徒や教職員の体温の抜けた週初めの校舎は今季一番の冷えを感じます。
 週に数回、町内をランニングするようになり、走る中で気候を体感します。同じ町内でもある地点に差し掛かるとスッと温度が下がります。南国育ちの自分は海を泳いでいるときの海水の温度変化を思い出します。地形に拠る現象でしょうが、同じ地域にあっても季節の訪れは微妙に異なるようです。植生や虫の声、木々を吹すり抜ける風の音に行く季節を想います。道ばたに咲く野草も乾いた音をたててきました。本校の正門から生徒玄関にかけてマリーゴールドが植えてあり登校してくる生徒諸君や訪れるひとを入口まで誘ってくれていましたが、つい先頃今年の役目を終えました。
 先月の月末の休日、昼過ぎにランニングの帰着地の学校に戻ってくるとマリーゴールドに水遣りをしている男子生徒の姿がありました。休日なのにありがとう、もうじき花も終わりだねと声を掛けると、部活のついでですからと、屈託のない青年らしい表情を浮かべていました。誰に言われるでなくとってつけたようでもなくホースの水を加減している姿は格好いい。
 本校のボランティア部、部の性格上、大会出場で壮行されることもないし大会成績が表彰されることもありません。しかし、週一訪問する地元の施設のお年寄りの方たちのスターだし職員の方々から感謝を受けています。函館の街角での募金活動等々、はにかみながら一生懸命に活動するその姿は格好いい。
 中学校向けの学校説明会当日の朝は生憎の雨模様で、生徒玄関の傘立てには滴のついた傘がたくさんたてかけられていました。無造作に突っ込まれているものもあり、エントランスで中学生や保護者を迎えるにどうしたものかと出勤時一人思案していました。すると、朝の職員打合せが終わったあたり、一人の先生が濡れた傘を一本ずつクルクルと巻いておられました。日頃の勤務の様子からも、気づかれて自主的になさっていることは推察されました。ひと知れず黙々と手を濡らしている姿は格好いい。
 学校の実力とは、こういうところに現れると思います。







2015年9月11日金曜日

審査の話

                                                                      H27. 9.10
 
 「審査」・・微妙なニュアンスが含まれる言葉です。とりわけ、評価について、その基準や正確さ、妥当性等、日頃からその在り方に気を遣う我々教員にはビミョウな含みをもつ言葉に思えます。
 自分の場合、幾度も剣道の昇段審査を受けてきたので馴染みのあるぶん扱いづらい言葉だとの印象を抱いています。私は、幸運にも比較的順調に昇段してきましたが先輩や仲間の中には随分と苦労されたひとが多くいます。特に、六段からは、全国審査にもなり合格率は一挙に低くなります。六段合格まで受験料や交通費、滞在費諸々で百万円費やしたと吐露する方もいました。剣道は、文字通り剣の「道」ですから、当然技量だけではなく人間修養の手段ですから極めんとする精神性が重要です。「気剣体の一致、懸待一致、残心・・」。極めて抽象的な概念を表す専門用語であり口頭で説明するのは困難です。全日本選手権大会のTV放送での解説者と実況担当アナウンサーの会話は時に苦笑いしてしていまいます。一方で、抽象的かつ高次の精神面での修養が求められる世界であるが故に奥深く、「道」所以たるものです。 
 その昇段審査は、高段位の審査員五名一組が会場ごとに配置され、受験者は二回の立ち会いを行います。一回の立会時間は1分程度。その僅かな時間でお眼鏡にかなわなくてはなりなりません。端から見ていて、このひとならというひとが駄目だったり、このひとはというひとが合格していたりということもままあります。大先生におかれましては、きっと未熟者には見えぬものが見えているのかと。ただ、審査用紙が返却されることも公開されることもないので、不合格の場合、どこが不出来であったのか、反省すべき点はなにか、今後の稽古に向けての改善すべき点はなんなのかすべて自分自身で考えねばなりません。つまり、客観的なデータが極めて乏しい中で自己と向き合い稽古を積んでいくことになります。尤も、そこにこそ魅力があり長くつづけていくことの要因にもなってるのですが。
 さて、過日の吹奏楽の全国大会の予選では、本校吹奏楽部は感動的な演奏を行いました。贔屓の表現ですが、澤邊先生がタクトをかざした瞬間から終わりまで、まさにキタラホールの場を支配していました。剣道でいうところの残心まで演奏後にも感じられました。成績発表までの心境は、全国大会で更に多くの人たちにこの演奏を聞いてもらえることができると確信に近い気持ちでした。結果を聞いて一瞬放心してしまいました。同時に、これ以上、どこをどう練習すればよいのか、生徒諸君にどんな言葉をかけようか・・しかし、審査結果は真摯に受けとめ捲土重来、次回を期待して会場を後にしました。
 帰校して審査結果の用紙を目にしました。評価項目は、技術と表現の2項目の10段階評価と特記事項欄。う~む。さすが音楽、芸術の世界。剣道の審査に匹敵する評価だな。巡り合わせがよければ来年こそは行けるのかなと。

2015年7月24日金曜日

一服の清涼剤

      校長室の花
                                                                      H27. 7.24
 
 華道部の生徒が、学校祭の展示の後、校長室に作品の生け花を届けてくれました。
 「咲ききって花のかたちをこえけるも」 いまも残像としてあります。
  今日、また、部活動で活けた花を届けてくれました。向日葵と霞草の組合せです。
 目下、この空間を支配しています。







裸の王様

裸の王様になりたくないので
                                                                            H27. 7.23

 ブログのアップが随分と空いてしまいましたが、7月は怒濤のような毎日で、この間、学校祭、野球の全道大会、各種講話、各種説明会、授業公開、学校説明会と行事やらなにやらが目白押しでした。年間行事の策定に遡って予見されていたものの、一息つく暇もなく夏季休業を迎えるにあたり、きつさを実感します。こうした中にあって、生徒諸君は真面目に学校生活を送っていること敬意を表すとともに、大過なくここまできたことに対し、指導にあたっておられる諸先生方、職員の方々に感謝申し上げます。
 さて、最近、頭の中をよぎる頻度が多い言葉に、『メタ認知』があります。専門的な定義や機能については割愛しますが、平たく言えば、「気づき、内省、自己の客観視、自己評価etc」であり、自分がどのような状態に置かれているかを俯瞰する(できる)ことです。特に、管理職になってからは戒めとしています。「私は自分が何も知らないことを知っている」と、かのソクラテスに及ぼうとはつゆ思わぬものの、平素から意識に努めています。学校経営のパートナーである教頭さんには、折に触れて傲慢になっていないかブレていないかをモニタリングしていただくことを心掛けるとともに多くの方々の話に耳を傾けるようにしています。自分の場合、とりわけ生徒のことになるとムキになってしまいコントロールが効かなくなりそうなのでとても大切なことです。
 折も折、自分の認識が誤っているのではないかと自問自答してしまうようなことがつづいています。そこには、こちらの考えが及ばぬような深遠な思考や判断が働いているのかと分析し熟考したものの、やはり変なのです。これが、教育現場で起こるとなるとその向こう側には生徒がいるのですからゆゆしき事態です。詳細は言いませんが不思議な感じすら覚えるようなことが起こります。勿論、その解決にあたるのが自分の仕事と心得ていますが。
 なにやら奥歯にものの挟まった物言いしかできなくてすみません。メタ認知能力の要素に抽象的な思考力も重要な要素ですから、皆さん、どうか汲み取ってみてください。
 7月25日(土)は、吹奏楽の地区予選演奏会があります。よい演奏であることは確実です。だって、メタ認知能力に秀でた顧問の方々の指導のもとに部員諸君は練習に励んでいるのですから。




                                                   

2015年7月3日金曜日

S先生の話

     
                                                                      H27. 7. 3
     
 お陰様で、野球部が、渡島支部の代表校として札幌円山球場への出場となりました。
 新聞各紙でも大きく取り上げていただきましたが、決勝戦は延長12回にサヨナラ勝ちをおさめる感動的な試合内容でした。「心を一つに」のスローガンどおりに、チーム一丸となった粘り強い試合運びで勝利を手中にしました。何よりも監督や部長との信頼関係のもと平素の練習結果を形に現したことが立派で嬉しい限りです。また、スタンドでの野球部員や全校応援の本校生徒の応援態度も立派でした。
 対戦チームの函館工業高校野球部の皆さんには、こうした試合のできましたことに感謝申し上げます。さらに、後援会や父母会、日頃から御支援していただいております方々、応援に足を運んでいただきました皆様に、この場を借りまして心から感謝申し上げます。
 さて、今朝の職員打合せで野球部部長のS先生から話がありました。
 その中で、「これからもひきつづき学校生活をきちんとし学業を疎かにしないよう部員の指導していきます。また、学校祭の準備にもきちんと取り組ませていきたいと思いますので先生方もよろしくお願いします」と、前日の全校応援への感謝の意を述べられる中で語っておられました。前回のブログのY先生も然り、指導者として斯くありたいと思いました。監督も、練習してきたことが勝利につながり嬉しいと話しておられました。
 みんなで、心から知高野球部を応援したいと思います。きっと、円山球場に知高旋風を起こしてくれるものと期待します。
 一方で、校長はひねもす考えます。知高野球部のファンが増えるのはよかばってん、部員がおかしなことに巻き込まれたりせんばよかが・・・、今後の応援態勢どげんすればよかかねえetc。
  そんな想いをよそに、先程の掃除の時間に話した野球部のN君は、私が「一夜明けて世界は変わりましたか?」と尋ねると、「気持ちはなにも変わりません。なによりも、もっと野球ができることが嬉しいです」と、当日の試合内容にも触れて爽やかに語ってくれました。
 周囲の期待とか外野の思惑にとらわれず、純粋に好きな野球を1日でも長くつづけられることをただ祈っています。そこにこそ、勝つことへの活路が開かれるものと考えます。















2015年6月23日火曜日

      Y先生の話
                                                                      H27. 6.21
     
 野球の夏の支部予選大会での話。
 初戦、初回裏の11得点を皮切りに、合計28点あげる猛攻で相手チームを退けました。試合中、いつもどおりスタンドの応援野球部員の後ろに陣取って観戦していましたが、この日も、野球部部長のY先生が部員にきめ細かな指導をしておられました。毎回の加点で勝敗の行方が見えかけたようなあたり、「ここで気持ちを緩めるなよ。しっかり声を出せ。相手チームは一生懸命戦っているんだ」と部員に檄を飛ばしておられました。日頃からの生徒指導の質、また、教育者としての資質能力の高さが伺えます。
 勝った負けたは別として、試合(試し合い)ですから、勝敗に至るまでの在り方が大切です。いわんや、子どもの心の成長を第一義とする教育に於いてはなおさらです。
 剣道部の顧問として指導にあたっていた頃、試合で明らかに技量の違う相手に突き技を出して勝って戻ってきた生徒を叱ったことがあります。僅か1パーセントの有効打突の決まり手で勝利し得意満面の表情を浮かべて戻ってきた彼をその時叱責しました。専門的な話になるのでこの紙面では割愛しますが、憤懣やるかたない表情の彼に、相手選手の心情を察するに余りある攻撃であったことを、また、勝ち方が大切であることをその後こんこんと説諭しました。
 この頃からだったからでしょうか。平素から、剣道はお互いであると事あるごとに口にするようになりました。また、自戒の言葉ともなりました。
 試合も教育もお互いです。
 Y先生はそのことを自覚して実践しておられる教員です。

2015年6月10日水曜日

この頃の野球部におもうこと

                                                                           H27. 6. 9
     
 休日の朝は、野球部の掛け声で目覚めるようにしている。正確には、自転車のブレーキ音で時間を推し測り、練習開始の発声を聞いてベッドから起き出す。個人の行動パターンによる時間の精度はかなり高く時計並みだ。校長公宅は、学校の敷地内にあり野球場に隣接し居間の正面は駐輪場なので、シーズン中の土日はこんな感じだ。
 朝食をとりながら耳を傾けると、聞こえてくる声にその日の部員たちのコンディションがわかるような気がして勝手な想像をする。強豪校の練習試合前にいつになく気合いが入っているな、大会前の練習で少し疲れが溜まっているのかな、などと、考えを巡らす。
 今年になって明らかに変化が現れた。常時耳にしているので声の質やリズムの違いがわかる。行動時間の精度も5分以内だ。素人目だが、それに呼応してきたかのようにプレーにキレがあらわれ集中力の高まりも認められて卒がない。準備や移動もきびきびしている。時に、グラウンドの空気を支配しているように感じられて頼もしく、また、見ていて清々しい。この一連のことが、普段の学生生活にも影響しているように思う。廊下を歩く様子一つにもメリハリがきいていて無駄がない。話しぶりにも変化があらわれてきている。
 そうした折、先日、地元の方からお褒めの電話をいただいた。生徒が、町中で見知らぬひとにもきちんと立ち止まって挨拶をし立派だとの旨。我校では当たり前のこの彼らの行為、ひとの心を打つのは心がこもっているからだと思う。形から入るという物言いがあるが内面の成長が現出しているものと考えたい。
 甲子園出場を果たしてから二十数年の時が経った。その栄光は大切に守りつつも、一層進化した野球部の活躍を期待したいと日頃から願っている。本校は公立高校であり、学習や特別活動、その他の教育活動の中にあって感性豊かに知性を高めバランスよく成長していかなければならない。限られた時間やルールの中で、いかに創意と工夫で練習の質を高め強くなっていくか、これからに期待したい。
 有名な部や強かった部が衰退したり勝てなくなっていくのに共通したプロセスがある。それは、身内から支援されなくなっていくということだ。存在感が大きくなり発言権も増していき、裸の王様状態となっているのを見てきた。強くなったあと、その状態を維持していくのは本当に難しい。平時にあって、意識して奢らず傲慢を戒め謙虚であらねばならない。
 メタ認知能力も指導者に要求される。昨日、「よくなってきた手応えを感じますね」と、話しかけると、顧問曰く、「まだまだです。授業中も教科の先生方に助けられています」と、謙虚にお答えいただいた。顧問をはじめ、先生方の支援と指導に期待が高まる。生徒諸君が野球部を引退した後、ただの人にしてはならない。
 もうじき夏の大会が幕を開ける。きっと、白球を追う知高野球部の溌剌としたプレーに多くの人たちが心ときめかすことだろう。
追記 挨拶を交わす時、こちらも立ち止まって正対するのが礼儀なのは重々承知なのだが、加齢のせいか蹴躓いてしまいそうになるので、どうか、ご寛恕願いたい。                                  
                               
   

2015年6月3日水曜日

平成の大教育改革?とアクティブラーニング・八っつあん熊さん

                                                      H27.6.1

八っつあん(以下、八):「世の中に蚊ほどうるさきものはなし。ぶんぶというて夜も眠れず」って知ってるだろう?
熊さん(以下、熊):それって、昔々、なんかの改革ってやつでお上がとった政に、どこの誰だかが皮肉って詠んだってやつだよな。文武両道だの質素倹約だのってやたら締め付けるんで閉口したって、確か昔の瓦版に載ってんの見たな。
八:そうよそうよ。なんか最近似たようことを耳にしたもんでな。
熊:なんだいそりゃ?いい大人になっても寺子屋通いのおめえのこった、なんかまた小難しいこと言い出すんじゃねえだろうな。
八:それがよう、「アクティブラーニング、アクティブラーニング」って、やたらお上が口にするらしいんだがさっぱりわかんねえってうちの先生がぼやいてたんだよな。
熊:なんだい、あれかい。最近流行りの伴天連言葉ってやつかい? 
八:どうも、数年後に、そのアクティブラーニングってやつが、藩校や学問所、寺子屋で
一斉に始まるらしいんっていうんだが、うちの賢い先生にしたって中身がよくわかんねえらしんだ。ただ、今までみたいに「子曰く・・」って、先生がありがたーく講義するのを聞いている訳にゃいかなくなるらしいんだな。
熊: じゃあ、直にお上にきいてみりゃいいじゃねえか。なんなら、おいらがひとっ走り番屋にでも聞きに行ってきてやろうか。
八:そうかいそうかい、そうしてもらえりゃうちの先生も安心しようってもんよ。韋駄天の熊さん、任せたぜ!
・・・・・             
八:おう、お帰り。でも、随分と時間くったじゃねえか。それになんだか冴えねえ顔しやがってどうしたんだい。首尾はどうよ?
熊:それがよう、誰に聞いてもさっぱりなんだよ。結局の所、誰もよくわかんねいらしいんだな。番屋の親分じゃちんぷんかんぷんなんで与力の旦那に聞いたんだがわかんねえ。そんでもって奉行所のお偉いさんにまで取り次いでもらったんだが、今んところわかっているのは、そのアクティブラーニングってやつが数年後に始まるから各自心得ておくように、ってえことぐらいなんだな。近頃じゃ、黒船は来るわ、隣の清国は英吉利にやられたってんでお上もうかうかしてらんねえ、異国とわたりあわなきゃなんねいから人づくりに躍起らしいんだ。それから、こうも言ってたな。今までだってまんざらやってなかった訳じゃねえからそう心配するこたあねえって。そのうち、詳しいことはお達しがあるってよ。
八:そうかい、そうかい、そりゃご苦労だったな。こっちとりゃ、なんだか皆目検討もつかねえが、まあ、頭のいいお偉いさんの考えることお上のなさるこった。こっちとらも別にケチつけようって訳じゃねえし、まあ、なんだな。ひとつお手並み拝見と決め込もうじゃねえか。寺子屋の先生にもそのうちお達しがくるだろうしよ。
熊:そうだな。それより、喉が渇いた。どうだい、これから一杯キュウッてのは?
八:いいねいいね。今日んとこは面倒掛けたな。今夜は、俺っちのおごりでい!
熊:おうっ、ゴチになるぜ。      




                           

2015年5月29日金曜日

高体連集約大会 -部活動、それぞれの思い-

                                                                           H27.5.29

  先週から今週末にかけて高体連の春季大会が行われています。本校には、六つの体育系の部がありますが、目下のところ、陸上部が全道大会への進出を決めています。昨年度は、野球、陸上、サッカー部が全道大会へ進出しており、二間口の本校にあっては、よく健闘していると思います。
 いくつかの種目を視察・応援してきました。
  その中で、女子のバスケットボール部は、155 対 6 の大差で敗退しました。試合直後、顧問に「生徒は一生懸命頑張りましたが、それにしても大差がつきましたね」と、率直な感想が思わず口を突いて出ました。それに対して「マネージャーや助っ人を加えて7人のチームで生徒は最後まで精一杯頑張ったと思います」 との言。敗軍の将、兵を語らずではありませんが立派だと思います。生徒数の少ない郡部校にあっては、他校との合同チームでの出場も最近では珍しくなくなりましたが、知内高校のユニフォームを揃って着て出場したことには意義があります。ゴールを決めた時、ハイタッチを交わす彼女たちの開け放したような笑顔が印象に残っています。
 部員数も多く、指導者や練習環境に恵まれ全校大会出場を視野に入れた所謂強豪チームの部があれば、地区大会での先ず一勝を目指す部もあり目標も違います。平素の練習量も違えば結果の受け止め方も様々で評価も異なります。 
 また、指導者について考えると、顧問がその種目の専門性を有していることの方が少ないと思います。自分も初任当時4年間、門外漢の部の顧問となりましたが、生徒と一緒に汗を流すのと練習環境を整えることで精一杯でした。一方で、経験種目の顧問を務めることになったらなったでそれも大変です。生徒や保護者、地域の方の期待は大きく結果を出すことのプレッシャーがかかりますし、何よりも自らの指導力向上のための修養に努めなければなりません。道具やその他に係るお金もそれなりです。休日も返上です。時間外勤務の縮減への取組が大きく取り上げてられいますが、その大きな要因が部活動指導であることは皆認識しています。極論をいうと、諸外国のクラブ活動のようになるのが解決の近道です。それをいうとみもふたもありませんが。
 これが、公立高校の部活動の実際です。
  なにやら、後ろ向きのような記述になりましたが大意はありません。こうした中で、それぞれの部の活動の在り方があり生徒と先生方は部活動に取り組んでいます。顧問は、目標や夢に向かって歯を食いしばって努力する態度を育てたいという思いや、前述のような生徒の一瞬の笑顔を垣間見ることの束の間の喜びのために指導にあたっています。
 さて、今週のバドミントンはどうかな?

2015年5月11日月曜日

知内町の日本一

                                                                           H27.5.11

  過日、知内町の教育関係者による転入者の歓迎会が行われました。その席上、網野副町長がご挨拶の中で、知内町の三つの日本一について述べておられました。
 その一つが、挨拶です。
 きょう日、迂闊に小学生に声を掛けると不審者扱いされるのではないかと、おはようの一言を発するのにも妙に身構えてしまいます。自分自身、昨年赴任してきて当初、道ですれ違う子ども達が口々に挨拶をしてくれたのに感動を覚えたのを記憶しています。勿論、本校の生徒も同様で、赴任時の緊張感が払拭されました。子ども達だけではありません。住民の方々皆さんと挨拶を交わすことのできる町です。小学校の校庭で幼子を遊ばすお母さんも穏やかな表情で声を掛けてくださいます。農道を走っていて、すれ違う人たちに声を掛けても怪訝な表情を浮かべるひとはいません。
 知内町は、そんな挨拶日本一の町。歩いていて気持ちのよい土地です。
 では、こうした現象は風土や文化でしょうか?考えますに、教育だと思います。更に、政治でもあると思います。僭越をご寛恕いただいて申しますなら、生涯教育の視点が町政にしっかりあることに起因すると考えます。上述の、副町長のご挨拶の内容にもそのことが十分うかがえました。教育委員会が先進的な取組を導入する中、学校も校種によらず鋭意教育活動を推進することができます。道立高校からすると、予算面やその他である種の特区の位置づけになるかもしれません。コミュニティースクールの導入、インクルーシブ教育や英語教育の充実等々、道内でも先進的な取組が展開されています。
 一方で、地元校長会において、田中教育長から本年度の学校教育推進の説明の中で、蛍を育ててみませんかとのお話もありました。皆さん、蛍!?って思いませんか。面白そうでしょ?このことについては、いつかしたためます
 郡部校の灯が消えていくことに思いを巡らす時、知内町の日本一に学校存続のヒントがあるような気がします。


 (昨年度の校外清掃の様子①)
 
  (昨年度の校外清掃の様子②)

2015年5月7日木曜日

部活動と想いの狭間で

                                                                         H27.5.9
  少し、長くなります。
 GW中も、部活動が盛んに行われました。連休を利用した遠征や集中した練習で実りがあったことと推察します。この間、生徒諸君は大変お疲れさまでした。送迎や弁当づくり、応援にご協力いただきました保護者の皆様もお疲れさまでした。顧問の先生方におかれましては、休日を削り時間を充てていただいたことに心から感謝申し上げます。
 自分の教諭時代を思い返すと、巷では花見だ行楽だ、TVでは連日、各地の行楽模様が放映されるのをよそに大会前のかき入れ時とばかりに、1日間の完全オフ以外は、錬成会や稽古会、練習試合の引率等で剣道三昧でした。個人としての休息や遊びの発想は、当時無かったと記憶します。
  今更ながら、それでよかったのかと振り返ることがあります。教員として職務は必要以上に果たし実りもあったと後悔はないものの、一家庭人としてはどうであったか内省すると・・。生来の人間の未熟さや思い違いなどから、男は、仕事ができてなんぼのものだとか生徒のためとか標榜してはばからず、仕事優先で家族を振り回していたことに思い当たります。夕方、練習試合の引率から戻ってキャンプ道具を車に詰め込み周りが焚き火を見ながら物思いにふける時間帯に到着してテントのペグ打ちの音を響かせ、翌日も、早朝に撤収し部活動ということも珍しくありませんでした。ねばならぬという自分個人の想いからくる家族サービスの押しつけに、当時、家族は随分と振り回されたことでしょう。
 我々教員の肩書きには、公務員の上に教育が付きます。全体の奉仕者であることに加えて、教育者としてより高い道徳性や倫理観が求められる教育公務員です。さらに、教員としての資質能力や適性をいうとき、児童生徒のために一生懸命になれる人間かどうかが問われます。一般的な通念上、よい先生とは、児童生徒のためにがむしゃらに取り組むひとであり、方法論において情緒的で多少冷静さは欠いていても、ムキになっている思いは大概受け容れられます。
 自戒と反省を込めて告白しますが、当時、部活動や生徒対応に熱心でないように写った同僚を軽んじたり批判もしました。そこには、教員としての純粋な教育的情熱の下にあって、オレはこんなに生徒のことを思って自分の時間や家族との思い出づくりを犠牲にして頑張っているのだという卑しい思いもあり、それをカモフラージュしながら熱心な先生を振る舞っていた自分を思い浮かべる時、偽善者の姿に心の粟立ちを覚えます
 三歳の可愛くて仕方ない子どもの今日のこの笑顔は一瞬のものであり、来年の同じ時期には同様に見られないなんて普段誰も思いつきません。だから、先生方も意識して休み、家族や大切なひととの時間をつくっていただきたいと思います。併せて、そうしたことに後ろめたさを感じたり蔑視をむけるような環境も改善していかなければなりません。
 尤も、教育という職責を担う者として、教育活動がそう綺麗事で立ちゆかぬことも十分理解しています。学校として教員としてできることとできないこと、折り合いの付け方を皆でじっくりと考えていきませんか? 
 当時の自分を知るひとたちからは、管理職になると宗旨替えをするもんだなとご指摘を受けるかもしれませんが、時間外勤務縮減が大きく問題提起される中、GWの部活動の様子を見ながらつらつら考えてみました。





       


                                            

2015年4月24日金曜日

「すごく」と「めっちゃ」

                                                                      H27.4.23

  生徒諸君とは、束の間でも共有する時間を持ちたいです。
 放課後の清掃の時間も、今年は担当区域を与えていただきました。そこでのたわいもない話から、校長室にいたのではわからぬ温度を帯びて見えてくるものが多くあります。廊下に立ち止まっている生徒には、元気ですか、学校生活はどうですかと言葉を掛けます。本校の生徒は、判を押したように「めっちゃ楽しいです」と答えてくれます。
 昨夜、スポーツセンターで会った女子生徒にくだんの質問をすると、「すごく楽しいです」と。なにが楽しいのか更につづけると、「クラスのみんなと仲良くなれました。宿泊研修が終わって友達がたくさんできました。怖いと思っていた部活の男子とも仲良くなれました」とのこと。一学年の宿泊研修の実り多かったこと、学校が彼女にとって居心地のよい場所であることが表情にうかがえました。
  これからは、勉強は大変だけど学校は楽しい、と言ってもらえるようになったら嬉しいですね、と言葉を掛けて別れました。
  そういえば、先ほどの女子生徒、「すごく」と単語を使っていたな。きょう日、若先生方からも「めっちゃ」と返ってくるがしっかりとした話しぶりだったな、と独りごち、咲きかけの夜桜を見上げながら家路につきました。







学校運営協議会について

                                                                       H27.4.22

 学校運営協議会制度(コミュニティースクール)を導入し二年目を迎えました。
 これがいいのです。 
 一昨日、今年度、第一回目の学校運営協議会を開催し、各委員の方から貴重なご意見ご指摘、アドバイス、また、励ましの言葉をいただきました。心から感謝申し上げます。
 学校運営協議会は、学校や教育委員会に対して一定の権限や責任をもって意見や助言を行い、身分上も地方公務員法に定める非常勤特別職でありそれに附帯して守秘義務等も課せられます。学校の取組内容や日頃の教育活動を把握していただき、学校との意見交換の中で、協議会の意見や見解が学校運営に反映されます。また、PTA役員が協議員として参画することで学校運営にPTAの意向を反映したり、学校運営協議会がその活動に協力を求めるなど、互いに補完し合うプロセスで、学校、家庭、地域の一層の連携の深まりも期待できます。
 今回の協議会では、本年度の学校運営計画について、学校経営シラバスを提示して説明申し上げ承認をいただきました。その中で、社会に通用する人材の育成として、継続して学力の向上に取り組み、知識と教養を身に付けさせ学力を伸ばし部活動等との両立を図ってほしい、教育活動の検証と評価を短期のサイクルで行い実効性のある教育活動に取り組んでほしい、学校運営協議会がPTAと交流を深め協議会の活動内容の理解促進に努めたい、等々のご意見をいただきました。あわせて、学校経営シラバスに示された具体的な取組の項目の多さに驚かれる中で、改めて、教育活動が多岐にわたることを認識し本校の取組に理解を深めていただきました。更に、本校の教育活動をして、先生方のやる気を感じる、学校の本気度がわかる、開かれている、との言葉をいただきました。教員冥利に尽きます。 
 今後、一層この制度を活用し、生徒諸君が知内高校を母校として胸を張っていけるような魅力ある学校づくりに励んでいきます。 








2015年4月16日木曜日

朝読書

                                                                      H27.4.14
     
 本校では、朝のホームルーム前に、全校で読書をしています。ショートホームルーム前の僅かな時間ですが、生徒、先生方も全員教室に入り活字に目を落とします。
 今日の清掃の時間に尋ねた生徒は、年間、10冊以上は読めると言ってました。
 所謂、「朝読書」なるものが学校現場に導入されて久しくなりますが、導入当初は、導入校の実践例が多く紹介され、その教育効果にも期待が寄せられました。
 とりわけ、生徒指導上の教育効果として期待が寄せられ、導入校においては、遅刻者が減った、落ち着いた学校生活のスタートにより生徒指導事案が減った、等々の報告が寄せられ、PISA型読解力の向上が日本の教育問題としてクローズアップされていくのとあいまったように注目されました。静観していると、当初の読書活動の効果の側面が次第になりを潜め、落ち着いた学校環境作りにシフトされてきたようで、生徒指導上の問題を抱えている学校での導入も目立ってきたようでした。
 そうした中、私個人は、冷めたものでどこか鼻白んでいました。
 読書は、知との邂逅です。感情の起伏をもたらす行為です。本来の、活字と向き合うことの意味合いを自覚することが薄らいできていると思いました。
 君たちはどう生きるか、を、常に問わねばならぬ職業に就いている我々教職員としては、眼前の朝の読書に集中する知高生の姿には期待感が高まります。先生方自身が、どの本を生徒に紹介しようか、この本を○○君や○○さんに勧めてみようかと思いを巡らせることにも大切な意味があります。
 大学生の時、教職課程の担当の大御所教授から、「生徒には本をあげちゃいかんよ。人生を狂わせることにもなりかねんからね。そうした責任を教員が負うことはどうだろう、云々」 と、言われたことを覚えてます。その教授の文学的でない思考からの言葉と理解していた学生としては、ナンセンスの一言のみ。教育実習では、母校の高校生に何冊も本を紹介しました。全くの私見ですが、どうも、この時代あたりから世の中が歪んできたように思えます。
 朝のこの時間、廊下を歩くのが好きです。



2015年4月14日火曜日

折り紙


                                                                       H27.4.8
 教職員の送別会の折の話。
 会場に着き、所定の席に腰掛け視線を巡らすと、離任される方々のテーブルの名前書きの紙だけが皆さんのと異なる。折り紙で意匠が凝らしてあり、異動や退職される先生への細やかな心遣いと感銘し幹事長に労いの言葉をお掛けした。すると、それは、指示されるでなく担当の先生が自発的に用意されたとのこと。そういえば、遅い時間に、職員室で折り紙を折っている先生の姿を見て声を掛けたことがあったと思いだした。その時は、送別会用の用意をしているだけですからと謙虚に話しておられた。自発的な行為とわかり、また、けれんみのないその時の口調を思い出しつくづくありがたいと思った。
 巷では、オリンピック誘致に係り、「おもてなし」が喧伝されているが、こうした先生のような心根がひとの心を打ち、受け取る側の心に通じる。平素のその教諭と生徒との関わりにおいても関係性が想像できる。
 生徒は、先生をよくみている。無意識の所作や言動から見透かされる。心から生徒のことを考えていないと態度に滲み出し化けの皮が剥げる。
 この点、管理職として、本校の教職員の方々には安心している。
 知内高校の強み(Strength)の一つだ。