2015年4月16日木曜日

朝読書

                                                                      H27.4.14
     
 本校では、朝のホームルーム前に、全校で読書をしています。ショートホームルーム前の僅かな時間ですが、生徒、先生方も全員教室に入り活字に目を落とします。
 今日の清掃の時間に尋ねた生徒は、年間、10冊以上は読めると言ってました。
 所謂、「朝読書」なるものが学校現場に導入されて久しくなりますが、導入当初は、導入校の実践例が多く紹介され、その教育効果にも期待が寄せられました。
 とりわけ、生徒指導上の教育効果として期待が寄せられ、導入校においては、遅刻者が減った、落ち着いた学校生活のスタートにより生徒指導事案が減った、等々の報告が寄せられ、PISA型読解力の向上が日本の教育問題としてクローズアップされていくのとあいまったように注目されました。静観していると、当初の読書活動の効果の側面が次第になりを潜め、落ち着いた学校環境作りにシフトされてきたようで、生徒指導上の問題を抱えている学校での導入も目立ってきたようでした。
 そうした中、私個人は、冷めたものでどこか鼻白んでいました。
 読書は、知との邂逅です。感情の起伏をもたらす行為です。本来の、活字と向き合うことの意味合いを自覚することが薄らいできていると思いました。
 君たちはどう生きるか、を、常に問わねばならぬ職業に就いている我々教職員としては、眼前の朝の読書に集中する知高生の姿には期待感が高まります。先生方自身が、どの本を生徒に紹介しようか、この本を○○君や○○さんに勧めてみようかと思いを巡らせることにも大切な意味があります。
 大学生の時、教職課程の担当の大御所教授から、「生徒には本をあげちゃいかんよ。人生を狂わせることにもなりかねんからね。そうした責任を教員が負うことはどうだろう、云々」 と、言われたことを覚えてます。その教授の文学的でない思考からの言葉と理解していた学生としては、ナンセンスの一言のみ。教育実習では、母校の高校生に何冊も本を紹介しました。全くの私見ですが、どうも、この時代あたりから世の中が歪んできたように思えます。
 朝のこの時間、廊下を歩くのが好きです。



0 件のコメント: