2015年5月7日木曜日

部活動と想いの狭間で

                                                                         H27.5.9
  少し、長くなります。
 GW中も、部活動が盛んに行われました。連休を利用した遠征や集中した練習で実りがあったことと推察します。この間、生徒諸君は大変お疲れさまでした。送迎や弁当づくり、応援にご協力いただきました保護者の皆様もお疲れさまでした。顧問の先生方におかれましては、休日を削り時間を充てていただいたことに心から感謝申し上げます。
 自分の教諭時代を思い返すと、巷では花見だ行楽だ、TVでは連日、各地の行楽模様が放映されるのをよそに大会前のかき入れ時とばかりに、1日間の完全オフ以外は、錬成会や稽古会、練習試合の引率等で剣道三昧でした。個人としての休息や遊びの発想は、当時無かったと記憶します。
  今更ながら、それでよかったのかと振り返ることがあります。教員として職務は必要以上に果たし実りもあったと後悔はないものの、一家庭人としてはどうであったか内省すると・・。生来の人間の未熟さや思い違いなどから、男は、仕事ができてなんぼのものだとか生徒のためとか標榜してはばからず、仕事優先で家族を振り回していたことに思い当たります。夕方、練習試合の引率から戻ってキャンプ道具を車に詰め込み周りが焚き火を見ながら物思いにふける時間帯に到着してテントのペグ打ちの音を響かせ、翌日も、早朝に撤収し部活動ということも珍しくありませんでした。ねばならぬという自分個人の想いからくる家族サービスの押しつけに、当時、家族は随分と振り回されたことでしょう。
 我々教員の肩書きには、公務員の上に教育が付きます。全体の奉仕者であることに加えて、教育者としてより高い道徳性や倫理観が求められる教育公務員です。さらに、教員としての資質能力や適性をいうとき、児童生徒のために一生懸命になれる人間かどうかが問われます。一般的な通念上、よい先生とは、児童生徒のためにがむしゃらに取り組むひとであり、方法論において情緒的で多少冷静さは欠いていても、ムキになっている思いは大概受け容れられます。
 自戒と反省を込めて告白しますが、当時、部活動や生徒対応に熱心でないように写った同僚を軽んじたり批判もしました。そこには、教員としての純粋な教育的情熱の下にあって、オレはこんなに生徒のことを思って自分の時間や家族との思い出づくりを犠牲にして頑張っているのだという卑しい思いもあり、それをカモフラージュしながら熱心な先生を振る舞っていた自分を思い浮かべる時、偽善者の姿に心の粟立ちを覚えます
 三歳の可愛くて仕方ない子どもの今日のこの笑顔は一瞬のものであり、来年の同じ時期には同様に見られないなんて普段誰も思いつきません。だから、先生方も意識して休み、家族や大切なひととの時間をつくっていただきたいと思います。併せて、そうしたことに後ろめたさを感じたり蔑視をむけるような環境も改善していかなければなりません。
 尤も、教育という職責を担う者として、教育活動がそう綺麗事で立ちゆかぬことも十分理解しています。学校として教員としてできることとできないこと、折り合いの付け方を皆でじっくりと考えていきませんか? 
 当時の自分を知るひとたちからは、管理職になると宗旨替えをするもんだなとご指摘を受けるかもしれませんが、時間外勤務縮減が大きく問題提起される中、GWの部活動の様子を見ながらつらつら考えてみました。