2015年5月29日金曜日

高体連集約大会 -部活動、それぞれの思い-

                                                                           H27.5.29

  先週から今週末にかけて高体連の春季大会が行われています。本校には、六つの体育系の部がありますが、目下のところ、陸上部が全道大会への進出を決めています。昨年度は、野球、陸上、サッカー部が全道大会へ進出しており、二間口の本校にあっては、よく健闘していると思います。
 いくつかの種目を視察・応援してきました。
  その中で、女子のバスケットボール部は、155 対 6 の大差で敗退しました。試合直後、顧問に「生徒は一生懸命頑張りましたが、それにしても大差がつきましたね」と、率直な感想が思わず口を突いて出ました。それに対して「マネージャーや助っ人を加えて7人のチームで生徒は最後まで精一杯頑張ったと思います」 との言。敗軍の将、兵を語らずではありませんが立派だと思います。生徒数の少ない郡部校にあっては、他校との合同チームでの出場も最近では珍しくなくなりましたが、知内高校のユニフォームを揃って着て出場したことには意義があります。ゴールを決めた時、ハイタッチを交わす彼女たちの開け放したような笑顔が印象に残っています。
 部員数も多く、指導者や練習環境に恵まれ全校大会出場を視野に入れた所謂強豪チームの部があれば、地区大会での先ず一勝を目指す部もあり目標も違います。平素の練習量も違えば結果の受け止め方も様々で評価も異なります。 
 また、指導者について考えると、顧問がその種目の専門性を有していることの方が少ないと思います。自分も初任当時4年間、門外漢の部の顧問となりましたが、生徒と一緒に汗を流すのと練習環境を整えることで精一杯でした。一方で、経験種目の顧問を務めることになったらなったでそれも大変です。生徒や保護者、地域の方の期待は大きく結果を出すことのプレッシャーがかかりますし、何よりも自らの指導力向上のための修養に努めなければなりません。道具やその他に係るお金もそれなりです。休日も返上です。時間外勤務の縮減への取組が大きく取り上げてられいますが、その大きな要因が部活動指導であることは皆認識しています。極論をいうと、諸外国のクラブ活動のようになるのが解決の近道です。それをいうとみもふたもありませんが。
 これが、公立高校の部活動の実際です。
  なにやら、後ろ向きのような記述になりましたが大意はありません。こうした中で、それぞれの部の活動の在り方があり生徒と先生方は部活動に取り組んでいます。顧問は、目標や夢に向かって歯を食いしばって努力する態度を育てたいという思いや、前述のような生徒の一瞬の笑顔を垣間見ることの束の間の喜びのために指導にあたっています。
 さて、今週のバドミントンはどうかな?

2015年5月11日月曜日

知内町の日本一

                                                                           H27.5.11

  過日、知内町の教育関係者による転入者の歓迎会が行われました。その席上、網野副町長がご挨拶の中で、知内町の三つの日本一について述べておられました。
 その一つが、挨拶です。
 きょう日、迂闊に小学生に声を掛けると不審者扱いされるのではないかと、おはようの一言を発するのにも妙に身構えてしまいます。自分自身、昨年赴任してきて当初、道ですれ違う子ども達が口々に挨拶をしてくれたのに感動を覚えたのを記憶しています。勿論、本校の生徒も同様で、赴任時の緊張感が払拭されました。子ども達だけではありません。住民の方々皆さんと挨拶を交わすことのできる町です。小学校の校庭で幼子を遊ばすお母さんも穏やかな表情で声を掛けてくださいます。農道を走っていて、すれ違う人たちに声を掛けても怪訝な表情を浮かべるひとはいません。
 知内町は、そんな挨拶日本一の町。歩いていて気持ちのよい土地です。
 では、こうした現象は風土や文化でしょうか?考えますに、教育だと思います。更に、政治でもあると思います。僭越をご寛恕いただいて申しますなら、生涯教育の視点が町政にしっかりあることに起因すると考えます。上述の、副町長のご挨拶の内容にもそのことが十分うかがえました。教育委員会が先進的な取組を導入する中、学校も校種によらず鋭意教育活動を推進することができます。道立高校からすると、予算面やその他である種の特区の位置づけになるかもしれません。コミュニティースクールの導入、インクルーシブ教育や英語教育の充実等々、道内でも先進的な取組が展開されています。
 一方で、地元校長会において、田中教育長から本年度の学校教育推進の説明の中で、蛍を育ててみませんかとのお話もありました。皆さん、蛍!?って思いませんか。面白そうでしょ?このことについては、いつかしたためます
 郡部校の灯が消えていくことに思いを巡らす時、知内町の日本一に学校存続のヒントがあるような気がします。


 (昨年度の校外清掃の様子①)
 
  (昨年度の校外清掃の様子②)

2015年5月7日木曜日

部活動と想いの狭間で

                                                                         H27.5.9
  少し、長くなります。
 GW中も、部活動が盛んに行われました。連休を利用した遠征や集中した練習で実りがあったことと推察します。この間、生徒諸君は大変お疲れさまでした。送迎や弁当づくり、応援にご協力いただきました保護者の皆様もお疲れさまでした。顧問の先生方におかれましては、休日を削り時間を充てていただいたことに心から感謝申し上げます。
 自分の教諭時代を思い返すと、巷では花見だ行楽だ、TVでは連日、各地の行楽模様が放映されるのをよそに大会前のかき入れ時とばかりに、1日間の完全オフ以外は、錬成会や稽古会、練習試合の引率等で剣道三昧でした。個人としての休息や遊びの発想は、当時無かったと記憶します。
  今更ながら、それでよかったのかと振り返ることがあります。教員として職務は必要以上に果たし実りもあったと後悔はないものの、一家庭人としてはどうであったか内省すると・・。生来の人間の未熟さや思い違いなどから、男は、仕事ができてなんぼのものだとか生徒のためとか標榜してはばからず、仕事優先で家族を振り回していたことに思い当たります。夕方、練習試合の引率から戻ってキャンプ道具を車に詰め込み周りが焚き火を見ながら物思いにふける時間帯に到着してテントのペグ打ちの音を響かせ、翌日も、早朝に撤収し部活動ということも珍しくありませんでした。ねばならぬという自分個人の想いからくる家族サービスの押しつけに、当時、家族は随分と振り回されたことでしょう。
 我々教員の肩書きには、公務員の上に教育が付きます。全体の奉仕者であることに加えて、教育者としてより高い道徳性や倫理観が求められる教育公務員です。さらに、教員としての資質能力や適性をいうとき、児童生徒のために一生懸命になれる人間かどうかが問われます。一般的な通念上、よい先生とは、児童生徒のためにがむしゃらに取り組むひとであり、方法論において情緒的で多少冷静さは欠いていても、ムキになっている思いは大概受け容れられます。
 自戒と反省を込めて告白しますが、当時、部活動や生徒対応に熱心でないように写った同僚を軽んじたり批判もしました。そこには、教員としての純粋な教育的情熱の下にあって、オレはこんなに生徒のことを思って自分の時間や家族との思い出づくりを犠牲にして頑張っているのだという卑しい思いもあり、それをカモフラージュしながら熱心な先生を振る舞っていた自分を思い浮かべる時、偽善者の姿に心の粟立ちを覚えます
 三歳の可愛くて仕方ない子どもの今日のこの笑顔は一瞬のものであり、来年の同じ時期には同様に見られないなんて普段誰も思いつきません。だから、先生方も意識して休み、家族や大切なひととの時間をつくっていただきたいと思います。併せて、そうしたことに後ろめたさを感じたり蔑視をむけるような環境も改善していかなければなりません。
 尤も、教育という職責を担う者として、教育活動がそう綺麗事で立ちゆかぬことも十分理解しています。学校として教員としてできることとできないこと、折り合いの付け方を皆でじっくりと考えていきませんか? 
 当時の自分を知るひとたちからは、管理職になると宗旨替えをするもんだなとご指摘を受けるかもしれませんが、時間外勤務縮減が大きく問題提起される中、GWの部活動の様子を見ながらつらつら考えてみました。