2015年11月16日月曜日

学校運営協議会(コミュニティースクール)について

                                                                   H27.11.16

  先日、今年度、第三回学校運営協議会を開催しました。
 この度は、アドバイザーの北海道大学大学院研究院の横井教授にも遠路お越しいただき貴重なご意見やご助言、ご指摘を頂戴しました。また、田中教育長にも参加していただき、設置者の立場を離れて教育への熱い思いも語っていただきました。
 いつもどおりに各委員から、学校課題の解決に向けた忌憚のない意見が出され議論がなされる様子に、横井教授からは、熱心な協議でよい議論の場が形成されているとの評価をいただきました。現行の学校評議員制度が形骸化してうまく機能していない学校の話も耳にしますが、本校の学校運営協議会においては、時に、時間を忘れるほど熱い議論や意見交換が行われます。
 本制度の具体的な内容についてはここでは割愛しますが、上手く機能していることの最大の要因は、メンバー構成にあると思います。様々な職業、年齢で構成された方々は、家庭や地域のダイレクトなメッセンジャーであり、同時にまた、学校のスポークスマンでもあります。「校長先生、この間、あるお母さんが○○じゃないかって話していましたが、もっと伝え方を工夫したらいいんじゃないでしょうか」とか、「うちの町の方が、最近の知内高校は××じゃないかって言ってたので、そうじゃないですよ、先生方は○○な思いで生徒達のことを本気で考えてやっているんですよ」と、いう具合です。
 そこには、前提として、本校の教育活動をよく理解していただいてことがあります。学校行事はもとより、日頃の授業の様子も把握していただいていますので、目下の学校課題を切り出しても議論がうまくかみ合います。 
 また、教育課程についても具体的に把握していただいています。学校教育目標を踏まえてどのように管理し改善していくかのヒントもいただけます。学校評価に係る適切な外部評価もいただいており、本校の教育活動のマネジメントにおいて有効に反映させることができます。
 さらに、毎回、協議会の様子は教職員にも伝えていますので先生方の意識改善を図ることができ、協働体制の構築にも役立っています。
  地域社会と一体となった教育環境づくり、学校、家庭、地域が孤立しない、双方向型の関わり合いの中で形成されていく学校を中心としたコミュニティーの在り方を考えるとき、コミュニティースクールは極めて有効な施策であり、学校のメタ認知機能であるともいえます。
  議事録は、その都度ホームページにアップしていますので、模様についてはそちらをご覧ください。
 横井教授をして、「議論の循環の可能性がある」とおっしゃっていただきました。      でも、道内では、本校を入れて、まだ、2校にしか導入されていないんですよね・・ 






2015年11月11日水曜日

格好悪いひとたち - それぞれの努力の定義 -

                                                                                          H27.11 . 11
 
  私事で恐縮ですが、父が他界した折、書斎の机の引き出しの中の便箋に孫宛の文面がしたためてあるのが見つかりました。遺言のタイトルはないものの、内容はそれでした。母は勿論のこと長男の自分にも遺言らしきものはありませんでしたので、いくら孫の可愛いさとはいへ、一瞬、不満の念が湧いてきてそれがおもわず口をついて出てしまいました。すると、側にいた息子曰く、爺ちゃんは、いつだったか、「お前のお父さんは努力家だぞ。それは見習わんといかんぞ」と、言ってたよと。それを耳にして驚愕してしまいました。顔を合わせば、いくつになってもバカ息子と言われてましたし、他人様の前でも家族を罵倒して憚らぬ九州人でした。何よりも、身内の人間に対して肯定的ともいえる評価を口にするというのは記憶にありませんでした。いやまてよ、これは、いかに自分がぼんくら息子であったかの逆説的表現ではあるまいか。もしくは、すごい皮肉の類ではないかといろいろな思いが頭の中を駆け巡りました。そのくらい「努力」の文字が意味するものが、自分自身とはとんと無縁の別世界の言葉だったからです。平素の自分をして、その場限り、行き当たりばったり、やっつけ、一夜漬け、等々。およそ自分の概念とする努力の定義とはかけ離れた人間だと思っています。そうした愚息をして、努力する人と評したことを踏まえ、改めて父の意味する努力の意味を考えてみました。
 心当たりなのは、最後までジタバタあがくことでしょうか。高校時代、考査前の一週間と期間中は深夜ラジオの第一部が終わるまで、もしくは徹夜で勉強。試験開始の直前までノートを開き止めの合図があるまで鉛筆を走らせていました。大学受験前は、睡魔との闘いに空腹を味方につけるために食事制限をつづけた結果、三ヶ月で11㎏体重減。遂に授業中に栄養失調で保健室へ運ばれてしまいました。大学では、レポートの出来に納得がいかず三日間徹夜して書き直しをしました。教員採用試験の前夜も、明け方まで試験会場近くの友人宅で参考書を眺めていました。剣道の試合でも、止めの合図がかかるまで打ち込みつづけました。単に往生際が悪いだけなのですし計画性の欠如に他なりません。一方で、力が抜けていない生き方にもなるでしょうし狭隘な人間性を表していると思います。ただ、最後の瞬間まで拘りつづけることはしているようで、この一部分を以てして息子の行動を父は努力と評したとしか思い当たりません。
 ところで、前回、格好いいひとたちについて書きましたが、3年生で進路が決定した生徒諸君が格好悪いひとにならないように願っています。就職先が内定した途端、授業態度がよろしくなくなったり、明らかに手抜きの結果著しく成績を落とし赤点をとってしまったり努努無きよう、残りの高校生活を有意義に送っていただきたい。
 そういえば、過日の校内マラソン大会で、体調も悪くないのに歩いてゴールしている生徒を前にある先生が叫んでました。
 「あんたたち格好悪いよ!」
 自分が一番投げ掛けたかった言葉を代弁していただきました。