2015年6月10日水曜日

この頃の野球部におもうこと

                                                                           H27. 6. 9
     
 休日の朝は、野球部の掛け声で目覚めるようにしている。正確には、自転車のブレーキ音で時間を推し測り、練習開始の発声を聞いてベッドから起き出す。個人の行動パターンによる時間の精度はかなり高く時計並みだ。校長公宅は、学校の敷地内にあり野球場に隣接し居間の正面は駐輪場なので、シーズン中の土日はこんな感じだ。
 朝食をとりながら耳を傾けると、聞こえてくる声にその日の部員たちのコンディションがわかるような気がして勝手な想像をする。強豪校の練習試合前にいつになく気合いが入っているな、大会前の練習で少し疲れが溜まっているのかな、などと、考えを巡らす。
 今年になって明らかに変化が現れた。常時耳にしているので声の質やリズムの違いがわかる。行動時間の精度も5分以内だ。素人目だが、それに呼応してきたかのようにプレーにキレがあらわれ集中力の高まりも認められて卒がない。準備や移動もきびきびしている。時に、グラウンドの空気を支配しているように感じられて頼もしく、また、見ていて清々しい。この一連のことが、普段の学生生活にも影響しているように思う。廊下を歩く様子一つにもメリハリがきいていて無駄がない。話しぶりにも変化があらわれてきている。
 そうした折、先日、地元の方からお褒めの電話をいただいた。生徒が、町中で見知らぬひとにもきちんと立ち止まって挨拶をし立派だとの旨。我校では当たり前のこの彼らの行為、ひとの心を打つのは心がこもっているからだと思う。形から入るという物言いがあるが内面の成長が現出しているものと考えたい。
 甲子園出場を果たしてから二十数年の時が経った。その栄光は大切に守りつつも、一層進化した野球部の活躍を期待したいと日頃から願っている。本校は公立高校であり、学習や特別活動、その他の教育活動の中にあって感性豊かに知性を高めバランスよく成長していかなければならない。限られた時間やルールの中で、いかに創意と工夫で練習の質を高め強くなっていくか、これからに期待したい。
 有名な部や強かった部が衰退したり勝てなくなっていくのに共通したプロセスがある。それは、身内から支援されなくなっていくということだ。存在感が大きくなり発言権も増していき、裸の王様状態となっているのを見てきた。強くなったあと、その状態を維持していくのは本当に難しい。平時にあって、意識して奢らず傲慢を戒め謙虚であらねばならない。
 メタ認知能力も指導者に要求される。昨日、「よくなってきた手応えを感じますね」と、話しかけると、顧問曰く、「まだまだです。授業中も教科の先生方に助けられています」と、謙虚にお答えいただいた。顧問をはじめ、先生方の支援と指導に期待が高まる。生徒諸君が野球部を引退した後、ただの人にしてはならない。
 もうじき夏の大会が幕を開ける。きっと、白球を追う知高野球部の溌剌としたプレーに多くの人たちが心ときめかすことだろう。
追記 挨拶を交わす時、こちらも立ち止まって正対するのが礼儀なのは重々承知なのだが、加齢のせいか蹴躓いてしまいそうになるので、どうか、ご寛恕願いたい。                                  
                               
   

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