2015年4月24日金曜日

「すごく」と「めっちゃ」

                                                                      H27.4.23

  生徒諸君とは、束の間でも共有する時間を持ちたいです。
 放課後の清掃の時間も、今年は担当区域を与えていただきました。そこでのたわいもない話から、校長室にいたのではわからぬ温度を帯びて見えてくるものが多くあります。廊下に立ち止まっている生徒には、元気ですか、学校生活はどうですかと言葉を掛けます。本校の生徒は、判を押したように「めっちゃ楽しいです」と答えてくれます。
 昨夜、スポーツセンターで会った女子生徒にくだんの質問をすると、「すごく楽しいです」と。なにが楽しいのか更につづけると、「クラスのみんなと仲良くなれました。宿泊研修が終わって友達がたくさんできました。怖いと思っていた部活の男子とも仲良くなれました」とのこと。一学年の宿泊研修の実り多かったこと、学校が彼女にとって居心地のよい場所であることが表情にうかがえました。
  これからは、勉強は大変だけど学校は楽しい、と言ってもらえるようになったら嬉しいですね、と言葉を掛けて別れました。
  そういえば、先ほどの女子生徒、「すごく」と単語を使っていたな。きょう日、若先生方からも「めっちゃ」と返ってくるがしっかりとした話しぶりだったな、と独りごち、咲きかけの夜桜を見上げながら家路につきました。







学校運営協議会について

                                                                       H27.4.22

 学校運営協議会制度(コミュニティースクール)を導入し二年目を迎えました。
 これがいいのです。 
 一昨日、今年度、第一回目の学校運営協議会を開催し、各委員の方から貴重なご意見ご指摘、アドバイス、また、励ましの言葉をいただきました。心から感謝申し上げます。
 学校運営協議会は、学校や教育委員会に対して一定の権限や責任をもって意見や助言を行い、身分上も地方公務員法に定める非常勤特別職でありそれに附帯して守秘義務等も課せられます。学校の取組内容や日頃の教育活動を把握していただき、学校との意見交換の中で、協議会の意見や見解が学校運営に反映されます。また、PTA役員が協議員として参画することで学校運営にPTAの意向を反映したり、学校運営協議会がその活動に協力を求めるなど、互いに補完し合うプロセスで、学校、家庭、地域の一層の連携の深まりも期待できます。
 今回の協議会では、本年度の学校運営計画について、学校経営シラバスを提示して説明申し上げ承認をいただきました。その中で、社会に通用する人材の育成として、継続して学力の向上に取り組み、知識と教養を身に付けさせ学力を伸ばし部活動等との両立を図ってほしい、教育活動の検証と評価を短期のサイクルで行い実効性のある教育活動に取り組んでほしい、学校運営協議会がPTAと交流を深め協議会の活動内容の理解促進に努めたい、等々のご意見をいただきました。あわせて、学校経営シラバスに示された具体的な取組の項目の多さに驚かれる中で、改めて、教育活動が多岐にわたることを認識し本校の取組に理解を深めていただきました。更に、本校の教育活動をして、先生方のやる気を感じる、学校の本気度がわかる、開かれている、との言葉をいただきました。教員冥利に尽きます。 
 今後、一層この制度を活用し、生徒諸君が知内高校を母校として胸を張っていけるような魅力ある学校づくりに励んでいきます。 








2015年4月16日木曜日

朝読書

                                                                      H27.4.14
     
 本校では、朝のホームルーム前に、全校で読書をしています。ショートホームルーム前の僅かな時間ですが、生徒、先生方も全員教室に入り活字に目を落とします。
 今日の清掃の時間に尋ねた生徒は、年間、10冊以上は読めると言ってました。
 所謂、「朝読書」なるものが学校現場に導入されて久しくなりますが、導入当初は、導入校の実践例が多く紹介され、その教育効果にも期待が寄せられました。
 とりわけ、生徒指導上の教育効果として期待が寄せられ、導入校においては、遅刻者が減った、落ち着いた学校生活のスタートにより生徒指導事案が減った、等々の報告が寄せられ、PISA型読解力の向上が日本の教育問題としてクローズアップされていくのとあいまったように注目されました。静観していると、当初の読書活動の効果の側面が次第になりを潜め、落ち着いた学校環境作りにシフトされてきたようで、生徒指導上の問題を抱えている学校での導入も目立ってきたようでした。
 そうした中、私個人は、冷めたものでどこか鼻白んでいました。
 読書は、知との邂逅です。感情の起伏をもたらす行為です。本来の、活字と向き合うことの意味合いを自覚することが薄らいできていると思いました。
 君たちはどう生きるか、を、常に問わねばならぬ職業に就いている我々教職員としては、眼前の朝の読書に集中する知高生の姿には期待感が高まります。先生方自身が、どの本を生徒に紹介しようか、この本を○○君や○○さんに勧めてみようかと思いを巡らせることにも大切な意味があります。
 大学生の時、教職課程の担当の大御所教授から、「生徒には本をあげちゃいかんよ。人生を狂わせることにもなりかねんからね。そうした責任を教員が負うことはどうだろう、云々」 と、言われたことを覚えてます。その教授の文学的でない思考からの言葉と理解していた学生としては、ナンセンスの一言のみ。教育実習では、母校の高校生に何冊も本を紹介しました。全くの私見ですが、どうも、この時代あたりから世の中が歪んできたように思えます。
 朝のこの時間、廊下を歩くのが好きです。



2015年4月14日火曜日

折り紙


                                                                       H27.4.8
 教職員の送別会の折の話。
 会場に着き、所定の席に腰掛け視線を巡らすと、離任される方々のテーブルの名前書きの紙だけが皆さんのと異なる。折り紙で意匠が凝らしてあり、異動や退職される先生への細やかな心遣いと感銘し幹事長に労いの言葉をお掛けした。すると、それは、指示されるでなく担当の先生が自発的に用意されたとのこと。そういえば、遅い時間に、職員室で折り紙を折っている先生の姿を見て声を掛けたことがあったと思いだした。その時は、送別会用の用意をしているだけですからと謙虚に話しておられた。自発的な行為とわかり、また、けれんみのないその時の口調を思い出しつくづくありがたいと思った。
 巷では、オリンピック誘致に係り、「おもてなし」が喧伝されているが、こうした先生のような心根がひとの心を打ち、受け取る側の心に通じる。平素のその教諭と生徒との関わりにおいても関係性が想像できる。
 生徒は、先生をよくみている。無意識の所作や言動から見透かされる。心から生徒のことを考えていないと態度に滲み出し化けの皮が剥げる。
 この点、管理職として、本校の教職員の方々には安心している。
 知内高校の強み(Strength)の一つだ。