2015年11月11日水曜日

格好悪いひとたち - それぞれの努力の定義 -

                                                                                          H27.11 . 11
 
  私事で恐縮ですが、父が他界した折、書斎の机の引き出しの中の便箋に孫宛の文面がしたためてあるのが見つかりました。遺言のタイトルはないものの、内容はそれでした。母は勿論のこと長男の自分にも遺言らしきものはありませんでしたので、いくら孫の可愛いさとはいへ、一瞬、不満の念が湧いてきてそれがおもわず口をついて出てしまいました。すると、側にいた息子曰く、爺ちゃんは、いつだったか、「お前のお父さんは努力家だぞ。それは見習わんといかんぞ」と、言ってたよと。それを耳にして驚愕してしまいました。顔を合わせば、いくつになってもバカ息子と言われてましたし、他人様の前でも家族を罵倒して憚らぬ九州人でした。何よりも、身内の人間に対して肯定的ともいえる評価を口にするというのは記憶にありませんでした。いやまてよ、これは、いかに自分がぼんくら息子であったかの逆説的表現ではあるまいか。もしくは、すごい皮肉の類ではないかといろいろな思いが頭の中を駆け巡りました。そのくらい「努力」の文字が意味するものが、自分自身とはとんと無縁の別世界の言葉だったからです。平素の自分をして、その場限り、行き当たりばったり、やっつけ、一夜漬け、等々。およそ自分の概念とする努力の定義とはかけ離れた人間だと思っています。そうした愚息をして、努力する人と評したことを踏まえ、改めて父の意味する努力の意味を考えてみました。
 心当たりなのは、最後までジタバタあがくことでしょうか。高校時代、考査前の一週間と期間中は深夜ラジオの第一部が終わるまで、もしくは徹夜で勉強。試験開始の直前までノートを開き止めの合図があるまで鉛筆を走らせていました。大学受験前は、睡魔との闘いに空腹を味方につけるために食事制限をつづけた結果、三ヶ月で11㎏体重減。遂に授業中に栄養失調で保健室へ運ばれてしまいました。大学では、レポートの出来に納得がいかず三日間徹夜して書き直しをしました。教員採用試験の前夜も、明け方まで試験会場近くの友人宅で参考書を眺めていました。剣道の試合でも、止めの合図がかかるまで打ち込みつづけました。単に往生際が悪いだけなのですし計画性の欠如に他なりません。一方で、力が抜けていない生き方にもなるでしょうし狭隘な人間性を表していると思います。ただ、最後の瞬間まで拘りつづけることはしているようで、この一部分を以てして息子の行動を父は努力と評したとしか思い当たりません。
 ところで、前回、格好いいひとたちについて書きましたが、3年生で進路が決定した生徒諸君が格好悪いひとにならないように願っています。就職先が内定した途端、授業態度がよろしくなくなったり、明らかに手抜きの結果著しく成績を落とし赤点をとってしまったり努努無きよう、残りの高校生活を有意義に送っていただきたい。
 そういえば、過日の校内マラソン大会で、体調も悪くないのに歩いてゴールしている生徒を前にある先生が叫んでました。
 「あんたたち格好悪いよ!」
 自分が一番投げ掛けたかった言葉を代弁していただきました。